【出張買取:茶道具買取】久世久宝 茶碗
京焼とは
京焼の歴史は古く江戸時代にまで遡ります。
当時京都市内には、粟田口焼、八坂焼、音羽焼、御室焼(おむろやき)、清水焼(きよみずやき)・・・など、様々な場所で陶作されており、それをすべて含めた総称として「京焼」と呼んでいました。
京焼=清水焼というイメージもありますが、元々京焼はそれらを総称して呼ばれていたのです。
また、京焼はほかの焼物のように決まった土や釉薬を用いることがありませんでした。
なぜなら京都では、陶器の原料となる土が全く取れないため、陶工は他の産地から土を取り寄せる必要があったのです。
ただ、その結果、他にはないアイデアが生まれ、個性あふれる作品が誕生したのだと言えるでしょう。
伝統と歴史を受け継いだ作風
初代・久世久宝は、1874年に幕末の僧・仁渓の子として生まれます。初めは仁浴という号を名乗り、京焼の作品を生み出し続けました。
大田垣蓮月とも親交があり、作品を生み出していく中で高い技術が認められ、裏千家圓能斎より「久宝」の号を頂き、それ以降当代の5代久世久宝まで伝統と歴史を受け継いできました。
ちなみに、2代目・3代目・当代(5代目)は女性という陶芸界の中でも珍しい家系でもあります。また、5代目は2006年に襲名されたばかりで、これからの益々の活躍に期待が高まりますね。
久世久宝の作品は京焼の伝統と歴史だけでなく、代ごとに個性が光っており、時代の背景をも浮かび上がらせます。
それは長い歴史と技術を積み上げた証であると私は思います。
艶やかな彩色が彩られた作品があるかと思えば、調和のとれた染付の作品もあり、優美な絵付けと図柄で今も昔も人々を楽しませてくれます。
このような多種多様な表現は年月を積み重ね、茶器、そしてそれを使って頂く方々と向き合い続けないとできない表現ではないかと私は思います。
このように、多くの茶人に愛されてきた作品とまた出会いたいものですね。
さいごに