【大阪本店:茶道具買取】吉向十三軒 茶碗
茶道の大きな三つの流派である「表千家」「裏千家」「武者小路千家」に対し、茶道具を代々にわたり製作する人たちを「職家」と呼び、さらにその中でも優れた職家を称して「千家十職」と呼ばれています。
「十職」の名の通り、十の家柄から成るものですが、現在吉向十三軒は千家十職の職人以外でありながら例外的にその腕と技術を認められ、六代目より裏千家御出入方陶器師として出入りが許されている名陶工でもあります。
吉向十三軒の成り立ち
江戸時代に初代の戸田治兵衛は伊予国大洲に生まれ、京都に出て名人たちから作陶を学びました。のちに大阪淀川湖畔近くの十三村(じゅうそうむら)に窯を構えます。
当時の大阪城代・水野忠邦に鶴と亀の大きな食籠を献上したところ、その亀の食籠を特に気に入り、亀甲の文字にちなんで「吉向」の姓を承りました。以来、窯号も「吉向焼」となり、結果的にその作品をきっかけとして全国から声がかかるようになり、各地を転々としながら焼物を作っていき、更なる人気を博すこととなりました。
出身地の大洲のみならず、須磨岩国、信州須坂、美作津山…など各地で御庭焼き(大名などが自分の城に窯を築き焼かせた陶磁器)を焼いています。その後、初代吉向治兵衛は江戸で没しますが、江戸で迎えた吉向の養子が江戸吉向と名乗り、大阪では松月軒吉向と十三軒吉向に分かれ脈々と続いていくこととなります。
現代に続く吉向焼
初代の作風としては交趾風のものをメインとしつつもあらゆる陶技に秀でており、また各地を転々としたことによりさまざまな着想を得て多彩な作品を手がけたようです。江戸吉向は明治に入った頃に窯を閉じることとなりましたが、松月軒吉向と十三軒吉向の二家は200年余りの間にあらゆる技法や技術を伝統として取り込んでいきました。
多様さは現代に続く吉向十三軒にも引き継がれ、現在も偏に焼き物といっても様々なジャンルの作品が生み出されています。作風としては、一目にオリジナリティあふれるというよりも、シンプルながらも完成度が高く、デザインとして洗練されたものが多いのが特徴かもしれません。
現在では八代目となる吉向十三軒が吉向焼としての伝統を引き継いでおり、今でも大阪にて有数の名工として作品を世に生み出し続けています。時折個展なども開かれていますので、裏千家御出入方の道具師として名を馳せる吉向十三軒の技術の高さをぜひその目でご覧になってはいかがでしょうか。
さいごに