【横浜店:茶道具買取】鈴木表朔 棗
鈴木表朔とは
鈴木表朔とは、明治から昭和、平成、そして令和の現在も活躍され続けている世襲制の漆芸家です。
江戸末期の京塗師である木村表斎を始祖とし、京塗の主流「表派」の技法を継承する京都を代表する塗師の家系です。
初代は1874年(明治7年)に滋賀県で生を受けます。
このころよりクリエイティブな思考に長け、すでに天才肌だったようです。
1884年に京都の蒔絵師である鈴木長真の養子となり、ここから鈴木表朔の歴史が幕を開けます。
そして途中で髹漆(きゅうしつ)に転じ、二代木村表斎に師事するのですが、これがターニングポイントとなりました。
厳しい修行に耐え抜き、漆芸の基礎を徹底的に叩き込まれた鈴木表朔は輝きを放ち、伊勢神宮の神宝、御大典、高御座、御張台、万歳幡の塗を担当するといった大役を任されます。
このような功績が称えられ、その後に内務省御用になり、鈴木表朔の塗の技術は高い評価を受けます。
また、内務省御用ということから、その丁寧な仕事と優雅さに魅了された世界各国の主賓達も多かったと思います。
数々の功績と最高水準の塗の技術は鈴木表朔の原点、京都でも輝き続け、1919年(大正8年)には神坂雪佳主宰の佳都美村に参画し、漆器の創作にも注力し、国宝級の名作を世に送り出しました。
鈴木表朔の人柄
鈴木表朔はその卓越した塗の技術はもちろん、人柄も最高水準でした。
彼の周りには彼を慕う多くの人が集い、後進の教育にも意欲的に取り組みました。
また、京都漆芸会創立顧問、漆器同業組合代議員や京都美術工芸会会員などで活躍し、漆芸の美しさと素晴らしさを世に広めようと尽力しました。
そして、初代亡き後も二代目はパリ万国博覧会で銀賞を受賞し、海外からの評価も高く、三代目は松田権六にも師事し、内閣総理大臣賞受賞を皮切りに数々の入賞を果たしました。
四代目も女性ならではの感性と伝統技法をうまく調和させた作風が印象的です。
初代鈴木表朔の情熱と天才的な技術は二代目、三代目、そして当代である四代目に脈々と受け継がれています。
さいごに