【大阪本店:絵画買取】大山忠作 彩色
東北生まれの愚直な画家
日本画家であり、日展の会長まで務めた大山忠作は、1922年、福島県二本松市に生まれました。大山曰く実家は「田舎の紺屋」。藍染や友禅染など、とにかく依頼があれば何でも染めていたそうです。
絵を描くことが好きだった大山は、いつしか画家を志すようになり、東京美術学校へ入学します。戦争のため学徒出陣で繰り上げ卒業し、戦後、復員して第二回日展へ出品した「O先生」が初入選しました。以降、一度も落選することなく作品を日展へ出品し続けました。
評価される作品を作り続けることが出来る。このエピソードからも、彼の作品への意欲や熱意、そして技術の高さが伺えますね。
大山忠作の魅力
私は大山の作品では、人物画が特に好きだと感じます(あとは鯉の絵も良いですね)。
「O先生」に代表されるような大山の人物画は、人物の目線が、どこか一点をじっと見つめているように描かれています。まるでその視線の先に何があるのか、何を見つめているのかを考えさせられるようです。
そして、丁寧に配置された小物や、描画される背景から、その人がどんな人物であるかを、見ている者に想像させます。
描かれている「その人」自身は、何も言葉を発しません。何かを声高に訴えかけてくる、というような印象もあまり受けません。ただそこにいる。ただそこで、静かにじっと何かを見つめている……。実に不思議な印象だと思います。
人物以外のモチーフを描いた作品にも同じようなことが言えますが、とにかく共通しているのは、大山の描く「静」の世界が圧倒的だということです。
鯉や鳥、たなびく雲や霞など、本来動きがあって然るべきであるモチーフだったとしても、彼の描く世界の中では、一瞬を切り取ってきて永遠にしてしまったかのような、不思議な、森閑とした景色になります。
静かな目で見つめる世界
大山は自叙伝で、自身についてこのように書いています。
「自分の仕事なり、生き方について特別の心情は持っていない。強いていえば持続という事だろうか」、と。これを大山は「東北人特有の愚直さ」とも言い現わしています。
そして「喜怒哀楽をあまり表に出したがらないし、出そうともしない」とし、良い意味でも悪い意味でも「東北人の典型」と自身を捉えています。
私としては、この言葉から彼の描く世界観の根底にあるものが見えたような気がしました。
感情を表さない。ただ淡々と、静かに物事を見据える。
大山は、絵を描くこと、対象を画面の中に描き出すことによって、自身の内面をもその中に表現しようとしていたのかもしれません。彼の愚直なまでの精神によって、それは生涯ずっと続けられたのです。
彼の作品は晩年まで、決して衰えることなく、静かで重厚な雰囲気を醸し出し続けています。まるで時間が止まったかのような凛とした世界観は、今でも星の数ほど存在する日本画の中で、随一の存在感を誇っています。