【広島店:陶器買取】藤本能道 花瓶
藤本能道の歩んだ道
東京に生まれた藤本能道は、東京美術学校図案部に入学し、卒業後は文部省工芸技術講習所で富本憲吉や加藤土師萌に師事します。
特に富本憲吉に長く学んだ藤本能道は、富本憲吉が参加していた国画会展や新匠美術工芸会に作品を出品します。やがてゲンビ展への参加を経て、走泥社の同人や、モダンアート協会会員となります。1962年には東京藝術大学の助教授となり、教授を経た後に、やがては学長となりました。
主に動植物をモチーフにした色絵の陶器や磁器を制作し、1986年には色絵磁器で重要無形文化財に指定されています。
近現代の陶芸と藤本能道
近世に於いて、作陶は職人技でした。近代に入り、西洋の芸術思想や造形デザインが流入すると、陶芸家たちに創作者としての新たな自覚が芽生えます。
藤本の師匠達はそれまでの徒弟制度ではなく、科学的な学校教育や試験場で学んだ第一世代でした。アーティストとしてどのような立場を取るかという事は、近現代の陶芸家にとって大きなテーマとなりました。
当初、藤本は師匠達に倣い、古陶磁や民芸品に学びながら作品を創作していました。しかしやがて、全く理念を異にする前衛陶芸へと創作態度を一変させます。
陶芸は壺や皿など、まず実用的な用途があり、その上に芸術性を加味させた応用美術でした。しかし、八木一夫などに代表される前衛陶芸家は、実用性を伴わないオブジェを創作し、陶芸を純粋な芸術へと高める事に成功しました。
陶芸に於けるこの大きな変革を目の当たりにした藤本は、自身も挑戦をしたくなったのでしょう。しかし、藤本が前衛陶芸に捧げた時間は10年に満たない年月でした。
東京藝術大学で教えることとなった藤本は、再び伝統的な系譜へと回帰したのです。
しかしこの創作態度の転換は、単純な原点への回帰ではなく、新たな創作の始まりでした。藤本は釉薬に新しい素材を取り入れるなどして研究に没頭し、色絵磁器の新たな表現を開花させたのです。
草白釉など、新たな白磁を開発し、さらに釉薬の色彩表現も豊かなものとなりました。
絵画的な抒情性が作品にもたらされ、それまでにない深みのある作品世界が展開されました。
さいごに
近代の色絵磁器を語る上で、藤本は外せない人物です。この道のエリートとも言える作家です。しかし意外にもその陶業は紆余曲折し、様々な道を模索した結果、花開いたものでした。
いつの時代も藤本能道は一貫して新しい試みに挑戦し続けていました。今回、彼の事を調べ、私もその向上心に大いに刺激を受けました。
もし藤本能道の作品をお持ちでしたら、ぜひ一度八光堂にご相談くださいませ。
お待ちしております。