【横浜店:茶道具買取】西村徳泉 水指
その前に。
陶器のお皿やお茶碗はお好きですか?
私は好きです。
何故そう言い切れるか。それはある時期、ひたすらお皿やお茶碗を見ていた事が影響しています。
料理人が丹精込めて作った料理の数々が、お皿の上に飾られ彩りを添える――――。
お皿だけでも充分に美しいけれど、料理を盛り付けることで完成するのだなぁと素人ながらに思ったものです。
代々受け継がれる西村徳泉
さて、余談はさておき、ここで前述致しました西村徳泉のお話を。
西村徳泉とは、江戸時代後期に初代西村徳泉が京都・五条坂に開窯して以来、家業を受け継ぐ者が襲名する名前であり、当代は四代目です。
作家ごとに個性の際立つ京焼において、当代は伝統的な技法を守りつつ雅やかな金襴手、細やかな幾何学文様の美しい祥瑞染付など独自の作風を極めます。祥瑞とは、めでたい前触れという意味もあり、茶道具に使われる事も珍しくありません。
「売り家と唐様で書く三代目」
これは初代が苦労して築き上げ、二代目が守り育てた身代も、三代目になると没落し売り出すようになるが、売り家札の筆が唐様でシャレているという、遊芸にふけり商いを疎かにする人を皮肉った川柳です。
では、西村徳泉の三代目はどうだったのでしょう。
三代目ってどうなの?
三代目西村徳泉は、昭和から平成にかけて活躍しました。
幼い頃から父である二代目西村徳泉より作陶を学びます。さらには多技多彩で知られ、ロクロの名手でもある楠部彌弌や、清水焼の名家六代目清水六兵衛に師事しています。
この六代目清水六兵衛は、1925年から父である五代目に師事して製陶全般を学んでいますが、学生時代には竹内栖鳳や山元春挙など京都画壇の巨匠達から日本画を学んでいます。
その作品は初期の図案を踏襲した物から古典に学んだものまで幅広く、特に三彩、玄窯、銹泑、古稀彩などは六代目を代表する技法です。
そのためか、三代目西村徳泉が築き上げた作風は、京焼の伝統技法を元に祥瑞写、金欄手、赤絵で繊細でいて華やかなものとなっています。花鳥や吉祥文を中心に多彩なモチーフを描き、茶碗や水指、香合などの茶道具を中心に手掛けています。
また、初代が開窯した五条坂で登り窯の使用が禁止された事から宇治市炭山に京焼登窯を移築。大徳寺509世桂堂紹昌より「紫翠」の窯名を授かり、以後宇治で制作活動を続けました。さらに、京都市工業試験場特別講師をつとめるなど京焼の振興と後進の育成に尽力しました。
…どこにも放蕩息子の要素が見当たりません。
それどころか、後進の育成や京焼の振興への尽力が認められ、1984年に通産省より表彰を、1988年には京都市長より感謝状を受けています。そして1992年、その功績が認められ、京都府知事より伝統産業優秀技術者として「現代の名工」に認定されました。
何なら少しくらい遊んで欲しいと思う程、京焼に力を注いだ三代目西村徳泉。代表作には「染付葡萄棚水指」や「染付牛ノ絵茶碗」「色絵春駒文茶碗」などがあります。
葡萄に牛に春駒――――。
これはもう、茶道の心得がなくたって見てみたいと思いませんか。