「シルクロード」の作品で有名な平山郁夫。代表作やその一生を解説
平山郁夫は平和をテーマした作品を残した日本画家で、シルクロードをモチーフにした連作絵画で知られています。広島出身の平山は15歳で被爆。その体験から平和を祈る心を強く持ち、東洋・西洋の交易路かつ文化の交流、仏教伝来の道でもあるシルクロードをテーマにしました。
作品は院展に何度も入選し、後年の人類文化遺産保護活動や、芸術を通した国際交流もあり海外でも評価される作家です。東京藝術大学学長、ユネスコ親善大使、東京国立博物館特任館長などを務め、後進の育成にも寄与しました。
平山郁夫の生い立ち。平和がテーマの日本画と文化保護などで国際的に活動
▲平山郁夫がモチーフとして扱った中国・西安にある「シルクロード」の入り口
平山郁夫は15歳で被爆。17歳のとき東京美術学校に入学
平山郁夫は1930年6月15日、広島県豊田郡瀬戸田(現・尾道市)に生まれました。幼いころより触れる瀬戸内海の美しい風景は、のちの平山の美意識に大きな影響を与えました。しかし、平山が15歳のときに広島に投下された原爆によって被爆。被爆後はしばらく体調を崩し、心身に傷を負いました。この経験が平和を祈る心、のちの「仏教伝来」や「シルクロード・シリーズ」の制作に繋がります。
平山は17歳のときに東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科予科に入学。卒業後は美術学校の日本画科で前田青邨(※)の副手(助手の補助役)として働き、その後助手となります。1952年に日本美術院公募展(院展)に応募しますが落選。しかし、翌年同じテーマ「家路」で入選し、以降も入選を繰り返します。
日本画家。歴史・人物・花鳥画などのジャンルで優れた作品を残す。美しい描線やたらしこみ描法と呼ばれる技術を用いた、洗練された作品が特長。1952年に東京芸術大学の教授に就任し、後進を育成。日本画壇の中でも大きな影響力を持つ。文化功労者。文化勲章受章。
平和を祈る平山郁夫は、仏教伝来の道「シルクロード」をテーマに
1960前後から平山は、原爆の後遺症により白血球が通常の半分になり貧血状態が続くなど、体調は芳しくありませんでした。そんな中「東京オリンピックの聖火は、シルクロード経由で運んでは」という新聞記事に、平山は絵の着想を得ます。
その絵こそが「仏教伝来」で、シルクロードの砂漠を旅する、中国・唐代の僧・玄奘(げんじょう)三蔵法師(※)が描かれました。それ以降の平山は、東西の交易路であり、異文化交流の道、仏教伝来の道であったシルクロードの人々や風景を連作で描くようになります。被爆体験から平和を祈る気持ちをより強く持っていた平山は、この「シルクロード・シリーズ」制作のために、実際にシルクロードや中央アジアの地を150回近く訪ねました。
中国の僧。629年に陸路でインドに向かったことで知られる。その際に巡礼・仏教研究を行い、645年に経典や仏像とともに中国に戻る。以後、翻訳作業を行い、法相宗の開祖となる。インドへの旅を「大唐西域記」などに残し、それが「三国志」として世に広まる。
後年は文化保護活動・国際交流に貢献した平山郁夫
1962年、平山はユネスコ・フェローシップで6か月間ヨーロッパに留学。そこでヨーロッパの宗教芸術に触れ、西洋画の背景にはキリスト教があるように、仏教を背景にした日本画の表現を志し、よりシルクロードや仏教をテーマにした作品制作を進めるようになります。
1966年にはカッパドキアの壁画模写、1967年には法隆寺金堂壁画再現など文化財保護活動にも精力的に取り組みました。1976年にはヘテロン、カイロ、パリ、ワシントン.D.Cなど世界各地で個展を開催。世界遺産ユネスコ親善大使として、高句麗古墳の世界遺産登録や、タリバーンによって破壊されてしまったバーミヤンの大石仏の保護などにも関わるなど、国際的活動が増えていきます。
晩年は東京芸術大学長、東京国立博物館特任館長に就任するなど、後進の育成や文化発展に貢献。2009年12月2日に79歳で亡くなりました。
「シルクロード」「広島」のモチーフと、岩絵の具による朝夕夜の塗り分け。平山郁夫の作品の特長とは?
平山郁夫が取り組んだモチーフ「シルクロード」「広島」
平山の作品の特徴的なモチーフは「シルクロード」と「故郷・広島」です。いずれも仏教伝来・文化交流や原爆の被爆体験などから、平和への願いが根底にあります。
「シルクロード」がモチーフの作品としては「大シルクロード・シリーズ」「玄奘三蔵への道」があり、広島がテーマの作品は水彩画などが多く、原爆がモチーフのものもあります。
「岩絵の具」を用いた独特な表現手法
平山は日本画材の岩絵の具をふんだんに作品に使用しているのも特長です。岩絵の具はラピズラズリやアズライトなど、宝飾品にも使われる貴重な鉱石の粉にニカワを混ぜて使うもので、とても高価な画材です。
平山はこの岩絵の具で朝景を黄、夕景を赤、夜景を青で表現しており、「シルクロード・シリーズ」や「アンコール・ワット」の一連の作品でそれぞれの時間帯による表情の描き分けがなされています。
院展に複数回入選、世界的にも評価される平山郁夫の作品
▲平山郁夫の作品「シルクロードキャラバン 西・月」
活動初期からさまざまな賞の入選を繰り返す
平山は23歳のときの第38回院展(※)で「家路」が初入選。第44回院展では「仏教伝来」、第46回「入涅槃幻想」、第47回「受胎霊夢」など以降も入選を繰り返し、1955年には日本美術院の院友となります。作品は日本美術院賞・奨励賞、文部大臣賞も受賞し、1964年には日本美術院同人になっています。
日本を代表する日本画の美術団体「日本美術院」が主催する日本画を対象とした展覧会。かつては、絵画・彫刻なども対象に含まれていた。
アジア・ヨーロッパで個展を開催。世界中で愛される「平山郁夫」作品
アジア・ヨーロッパなど多くの国で個展を開いた平山は、シルクロードや仏教建築をテーマにした作品が人気を得ています。そして、1993年に文化功労者、1988年に文化勲章を受章。
1996年にはフランスからレジオン・ド・ヌール勲章、2002年に中国政府から文化交流貢献賞、2004年には韓国の「修交勲章興仁章」を受章するなど、文化財保護活動・国際交流の観点からも平山郁夫は高く評価されています。
平山郁夫買取
平山郁夫の作品を紹介。シルクスクリーンやリトグラフも
「交河故城トルファン」
トルファンとは、ウイグル語で「盆地」の意味で、古くからシルクロードの要地で政治・経済・文化の中心地として栄えました。交河故城とはかつての軍事基地であり、当時のウイグル族の生活や歴史を絵画として平山は残しています。
「シルクロードを行くキャラバン 東・太陽」
「シルクロードを行くキャラバン 東・太陽」は「西・月」と対になった作品。東西の交易路・シルクロードの過酷な砂漠をラクダに乗って進むキャラバンの人々が描かれています。この「東・太陽」は夕焼けの風景で、原画では赤・橙・黄色の岩絵の具が使用され、夕景を美しいグラデーションで表現されています。
「アンコールワット」
内戦で荒廃したアンコールワット救済のため、平山郁夫は遺跡調査団の団長として現地を取材。その際のスケッチが元に、1993年に各地で開催した個展にアンコール遺跡がテーマの作品が出品されています。このアンコール・ワットシリーズには「アンコールワットの遺跡 夕陽」「月」「朝陽」などがあり、平山作品特有の岩絵の具による赤・黄・青の美しい時間の変化がそれぞれ描かれています。版画での人気も高く、シルクスクリーンやリトグラフなども多く存在します。
まとめ
原爆の体験から平和を願った平山郁夫は仏教・シルクロードをテーマにした作品を多く残しました。文化財保護活動や国際交流、政財界との繋がりがあったこともあり知名度が高く、作品の評価は今でも高くあります。
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