新時代の日本画「朦朧体」を確立した稀代の巨匠・横山大観
明治から大正・昭和と、3つの時代をまたいで活躍した近代日本画壇の巨匠・横山大観。新しい時代の日本画を志し、「朦朧体(もうろうたい)」という独自のスタイルを確立しました。
西洋化の影響を受けながら、日本美術の伝統技法を継承する画風を見せた大観の世界。この記事では、そんな横山大観の生い立ちをはじめ、作品の特徴や魅力についてご紹介します。
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「朦朧体」を確立した画家、横山大観の生い立ち
▲横山大観が生まれた茨城県水戸市の街並み
東京美術学校にて岡倉天心らに師事
横山大観は、1868年(明治元年)常陸国水戸(現在の茨城県水戸市)の水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれました。幼少時から絵画に関心を持っており、1989年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に第1期生として入学。岡倉天心(※)や橋本雅邦(※)などに師事し、技法を学びます。
東京美術学校を卒業してからは京都へ移住し、仏画の研究を進めました。この頃から「大観」という名前を使い始めます。1896年に東京美術学校助教授に就任。その後、1898年に校長の岡倉天心が辞職するとともに辞任し、岡倉天心などの画家とともに日本美術院の創設に参加しました。
主に明治時代に活躍した思想家・文人。美術運動家として日本の伝統美術の発展に多大な功績を残した。
(※)橋本雅邦(はしもとがほう)
明治期の日本画家。狩野派の技法を基礎に置きつつ、遠近法など洋画の技法を取り入れ、明治期の日本画の改革に貢献した。
独自の画法「朦朧体」を生み出すものの、守旧派からの批判を浴びる
横山大観は新たな時代の日本画を模索し、線描を抑え輪郭をぼかして描く独特の画法「朦朧体」を確立しました。しかし、当時の守旧派(※)から批判を浴び、その評価は低いものでした。現在でこそ「朦朧体」という言葉は横山大観のスタイルを表す言葉ですが、当時は「明瞭な輪郭を持たない」「勢いに欠ける」「ぼんやりとした画風」と批判的な意味で用いられていたのでした。
改革・革命の動きに対して、現状維持や従来の考え方や様式を守ろうとする勢力を指す。
海外に拠点を移し、各地の展覧会で大きな評価を得る
そのような中で横山大観は海外に拠点を移そうと試みました。そして、インドやアメリカにて相次いで展覧会を開き、そこで高い評価を得ます。その後はヨーロッパにも進出し、ロンドンやベルリン、パリなどでも展覧会を開催。ここでも大きな評価を得ました。
海外での評価を機に、日本での評価も高まり画壇の重鎮として地位を築く
これら欧米での高評価は、日本国内での評価にもつながっていきました。以降は、日本画壇の重鎮として確固たる地位を築くこととなります。大正3年には美術院を再興。以後、院展(※)を中心に数々の名作を発表しました。1934年(昭和9年)には朝日文化賞受賞。1935年(昭和10年)には帝国美術院会員に。1937年(昭和12年)には、この年制定された第1回文化勲章の受章者となりました。
日本を代表する日本画の美術団体「日本美術院」が主催する日本画を対象とした展覧会。かつては、絵画・彫刻なども対象に含まれていた。
横山大観の作品の特徴。「朦朧体」で幻想的な表現を実現
▲横山大観も好んで描いた富士山の風景
横山大観の作品の特徴は、「朦朧体」と呼ばれる線画技法にあります。
「朦朧体」とは、色彩の濃淡によって構図や被写体の形、光の加減などを表した技法で、輪郭線をはっきりと描く日本画の伝統的な画風とは全く異なるものです。
美術学校時代からの恩師である岡倉天心が「空気を絵で表現する方法はないものか」と言ったのをきっかけに誕生したと言われています。薄めた墨を紙の上で伸ばすことで美しいグラデーションを作り出し、モヤがかかったような幻想的な表現を実現しました。
この画法には西洋の印象派(※)などの影響が大きく見られます。なかでも代表作とされているのは、40m超の日本一長い画巻「生々流転」。この作品には彼の水墨画技法のすべてが注ぎ込まれており、重要文化財に指定されています。
1860年代半ばにフランスで起きた芸術運動。港の早朝を描いたモネの「印象・日の出」を名前の由来とする。光や空気の変化を正確にとらえようとした表現や作風を特徴としており、その後の芸術表現全般に大きな影響を与えたと言われる。
新たな日本画の世界を切り開いた横山大観。その作品の評価とは?
▲1976年に東京都台東区に開設された「横山大観記念館」
「朦朧体」を確立し、新たな日本画の世界を切り開いた横山大観。以後の芸術表現全般に大きな影響を与えた「朦朧体」のパイオニアであることから、現代においても非常に評価が高く、買取市場での評価額も高くなっています。
国内はもちろん海外にも多くのファンがおり、現代活動している芸術家にも多大な影響を与え続けています。2018年には生誕150年の大回顧展が東京国立近代美術館と京都国立近代美術館にて開かれ、その多彩な作品群に多数のファンが魅了されました。
横山大観は150年という歳月を経ても、不動の人気と評価を得ており、時代を超えて愛され続ける芸術家のひとりと言えるでしょう。
横山大観 掛軸買取
横山大観の作品紹介
「皇國日本」
水戸藩士の父親のもと、小さい頃より皇国思想を教えられていた大観が、天皇への敬意と天皇からの恩沢を日の丸の意匠で表現した一作。太陽をかたどり、「日出ずる国」として日本古来より日本人に親しまれてきた日の丸は、どの世代の心にも響く美しさではないでしょうか。
「富士」
「富士」と表記されるのが一般的ではありますが、他にも「不二」「不死」「不尽」「福慈」などといった漢字でも表記されます。それほどまでに唯一無二で神々しく、古くから富士信仰という崇拝の対象となった霊峰・富士。雲に隠れていることから「恥ずかしがり屋」とも言われている富士ですが、富士の裾野に雲がたなびき、その遥か上に見え隠れする富士の頂上とを墨の濃淡で表現されているところが、大観の神髄を味わえるでしょう。
「朝暉」
大観が確立した「朦朧体」で表現された山々の風景画。朧気な描写がより奥行きを感じさせ、凛とした空気感までもが表現されています。いずれの作品も、大観の山々などの自然に対する畏敬の念が感じられます。
この他「夜桜」「生生流転」など、数多くの代表作を残している横山大観。時代を経て、さまざまな芸術表現が生まれた現在でも、「朦朧体」の優雅な美しさは唯一無二の輝きを放っています。
まとめ
「朦朧体」という新たな画法を生み出し、日本画壇に新たな風を吹き込ませた横山大観。
そんな横山大観の作品は買取市場でも人気が高く、作品によっては高額で取引されています。
キズや汚れがあっても、査定額が高くなる作品も数多くあります。横山大観の作品の買取を検討されている方は、ぜひ一度ご相談ください。
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