日本近代洋画の父・黒田清輝。洋画界にもたらした功績とその魅力
日本近代洋画の父として知られる黒田清輝(くろだせいき)。フランスへの留学で学んだ技法から「外光派」という新たなスタイルを確立し、「湖畔」や「智・感・情」といった後に重要文化財に指定される作品を残しています。
そんな黒田清輝は、多くの優れた後進画家の育成にも貢献。美術教育者・美術行政官としても活躍しました。この記事では、そんな黒田清輝の生い立ちをはじめ、作品の特徴や魅力についてご紹介します。
日本近代洋画の父・黒田清輝の生い立ち
▲黒田清輝が西洋画を学んだフランスの街並み
10代の頃は英語やフランス語を学び、法律家を目指していた
黒田清輝は、1866年薩摩国鹿児島城下(現在の鹿児島県鹿児島市)にて薩摩藩士の子として生まれました。その後、伯父の黒田清綱(くろだきよつな)の養子に。黒田清綱は戊辰戦争で功を挙げ、新政府でも要職についた人物で、後に黒田清輝がフランスに留学したのも伯父の影響だと言われています。
「日本近代洋画の父」と呼ばれる黒田清輝ですが、意外にも当初は法律家を目指していました。1872年には上京して平河学校に入学。その後も漢学塾二松學舎(現在の二松學舎大学)や東京外国語学校(現在の東京外国語大学および一橋大学の源流ともされる)にて学び、英語やフランス語を会得。同時に、鉛筆画や水彩画も学んでいました。
21歳で画家になることを決意、フランスにて西洋画を学ぶ
そんな黒田清輝が画家に専念することにしたのは21歳のときでした。1884年に法律の勉学を目的にフランスに留学するも、次第に画家を志すようになりました。そして、ヨーロッパを巡りながら油彩画の制作を続けました。1891年にはフランス芸術家協会のサロンに「読書」を出品し、入選。その後、約10年間のフランス留学を終えて1893年に帰国します。
フランスで会得した表現を取り入れ、独自の画風「外光派」を確立
フランスにてラファエル・コランに学んでいた黒田の作品は、明るい外光表現を取り入れた作風で注目を集め、それまでの日本洋画にはない新たな作風から、「外光派(※)」などと呼ばれました。フランス留学からの帰国後の1894年には洋画研究所「天心道場(※)」を開設。1896年には洋画団体「白馬会(※)」を発足させ、同年に第一回目の展覧会を開催しています。第二回目の展覧会には、黒田清輝の代表作のひとつである「湖畔」や「智・情・感」が展示されました。
1850~1860年代に日光の下で自然な描写を行い、明るい色調を特徴とするフランスの画家たちの総称。スケッチから仕上げまでを屋外で行うことによって、それまでになかった作品が多く生まれた。
(※)天心道場
黒田清輝がフランス留学後、同時期に活動した画家・久米桂一郎と設立した洋画研究所。「外光派」と呼ばれる作風は天心道場で確立されたと言われる。
(※)白馬会
明治美術会を脱会した黒田清輝、久米桂一郎の他、数名の画家によって設立された美術団体。絵画の新しい様式を模索し、明治洋風美術の主流となる外交派などの手法を確立する。国内の洋画の発展に多くの功績を残した美術団体。
後進の育成にも邁進、日本近代画の「父」へと
黒田清輝は1898年に、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の西洋画科の教授に就任。白馬会と東京美術学校において多くの新しい才能を育てるとともに、美術教育者としての活動に注力していきます。また、美術行政家としても活躍。1920年には貴族院議員に、さらに1922年には帝国美術院(現在の日本芸術院)の院長に就任しました。
当時の日本は、近代国家としての歩みを急速に始めた時世。憲法や諸制度が整備されていくなかで、黒田清輝も西洋画の啓蒙とアカデミズムの確立を軸に美術教育の普及に大きく貢献したのでした。
「外光派」と呼ばれる新たな画風を確立した黒田清輝。その作品の特徴
▲黒田清輝は、外光表現を用いて代表作となる「湖畔」を描いた
黒田清輝の作品は、それまでの日本洋画にはない新しい表現が含まれています。従来の日本洋画では、陰影に暗い褐色を使っていましたが、黒田は陰影には紫あるいは淡青を用い、また光の当たる部分には明るい色彩を配したのです。これが、黒田が「外光派」「紫派」などと呼ばれる所以です。
また、黒田清輝は作品の主題として日常的な情景を好みました。従来の名所絵的な風景画から解放されたモチーフもまた、当時の画壇に一石を投じたのでした。
このような作品は革新的な雰囲気に満ちており、当時の展覧会場で異彩を放っていたと伝えられています。
日本近代洋画界の重鎮・黒田清輝の作品の評価とは?
▲東京都台東区上野公園にある「黒田記念館」
日本近代洋画界において、黒田清輝が果たした役割は非常に大きく、近代洋画の生みの親・育ての親だと言われています。特に、フランス留学によって外光派の作風や平明な自然主義を日本に持ち帰ったことは、黒田の功績のひとつです。
そんな黒田清輝の作品は、当然ながら現代でも高い評価を得ています。代表的な作品として挙げられるのは「読書」や「湖畔」や「智・情・感」「昔語り」など。「読書」はフランス留学時代の作品で、フランス芸術家協会のサロンで入選しています。帰国後に描かれた「湖畔」と「智・情・感」は、重要文化財にも指定されています。
なかでも「湖畔」は、美術や歴史の教科書でも目にする有名な作品です。日本の夏の湖畔に漂う湿潤な空気を、淡い色調と平滑な筆致によって見事に表現しています。
また、「智・情・感」は1900年のパリ万博に出品され、日本人の洋画では最高賞を受賞しました。
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黒田清輝の作品紹介
「コラン先生」
フランス留学時代の師・ラファエル・コランを描いたペン画。着色はされておらず、ラフスケッチのひとつではあるものの、威厳さとやさしさを兼ね備えた師匠の人となりがスケッチから窺い知れるようです。
この他、黒田清輝の作品の中には「鮭」「智・感・情」など、現代でも高く評価される作品が多々あります。国内の洋画の概念を変えた黒田清輝の作品は、今もなお多くの人に愛され続けています。
まとめ
黒田清輝は、日本の近代美術史にとって最も偉大な存在とも言える人物です。西洋画の技法を取り入れた独自の画風は、近代美術の発展に大きく貢献しました。
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