近代洋画界の重鎮、西洋画家・小磯良平。作品・代表作の特長や評価
近代洋画界に大きな功績を残した洋画家・小磯良平。若くして才覚を現し、フランス滞在や従軍画家を経験したのち、後進の育成にも尽力しました。1992年には故郷の兵庫に神戸市立小磯記念美術館が開館し、今でも多くのファンを魅了し続けています。
この記事では、そんな小磯良平の生い立ちや作品の特長・評価などについてご紹介します。
近代洋画界の巨匠、小磯良平の生い立ち
▲小磯良平が生まれた神戸の街並み
美術学校時代から優秀な成績をおさめた
小磯良平は、1903年に神戸市で生まれました。実家は、旧三田九鬼藩の旧家で貿易の仕事をしていました。当時の神戸は交易で栄えており、外国人居留地も近くにあったことから、西洋の文化にも触れあう雰囲気の中で幼少期を過ごしました。絵を描くのが好きな少年で、暇さえあれば絵を描いていたそうです。
兵庫県立第二神戸中学校を卒業後、上京して東京美術学校(現・東京藝術大学)の西洋画科に入学。藤島武二(※)の教室で学びます。同級生には猪熊弦一郎(※)、岡田謙三(※)、荻須高徳(※)、牛島憲之(※)などがいました。才能ある良き友・ライバルたちとともに切磋琢磨し、早くも1925年には、帝展にて「兄妹」が初入選。翌年には「T嬢の像」で特選を受章。その画才を発揮しました。優秀な成績をおさめ1927年には同校を主席で卒業したのち、同期らとともに上杜会(※)を結成しました。
(※)藤島武二
明治末から昭和期にかけて活躍した洋画家。黒田清輝の推薦で東京美術学校助教授に推薦され以降、半世紀近くにわたり後進の育成・指導にあたった。
(※)猪熊弦一郎
昭和の洋画家。老舗百貨店・三越の包装紙をデザインしたことでも有名。1980年勲三等瑞宝章受章。
(※)岡田謙三
昭和の洋画家、抽象画家。東洋的な幽玄主義(ユーゲニズム)の画風を確立し、世界的評価を受ける。
(※)荻須高徳
大正・昭和期の洋画家。フランスで制作活動をし、その活躍・貢献からパリ名誉市民となりフランス国立造幣局において荻須の肖像をモチーフにしたメダルが発行された。1986年文化勲章受章。
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(※)牛島憲之
大正・昭和期の洋画家。柔らかな曲線美と穏やかで淡い色彩が特徴。1983年文化勲章受章。
(※)上杜会(じょうとかい)
1927年3月に東京美術学校の西洋画科を卒業した作家たちで結成された級友会。昭和を代表する画家が会員に名を連ねる。
フランス留学時代に西洋画に魅了される
卒業後の1928年からは2年間に渡りフランスに滞在。パリのグランド・ショミエール芸術学校に通い、ヨーロッパ各地をまわり美術作品を見学しました。なかでもルーブル美術館で目にしたパオロ・ヴェロネーゼの「カナの婚礼」に衝撃を受けました。その作品内に描かれた群衆の表現力に魅了され、自身もヴェロネーゼのように群集を描くことを人生の目標としました。
従軍画家として中国に渡る
1930年にフランスから帰国。帰国後は新制作派協会(現・新制作協会)の結成に関与します。
その後戦争が始まると、1938年から4回、戦争記録画を制作する従軍画家として中国に渡りました。1945年の神戸空襲では神戸の自宅とアトリエが焼け、そこにあった作品も燃えてしまいました。
後進の育成にも尽力
終戦後、小磯良平は後進画家の育成にも尽力しました。1953年には東京藝術大学教授に就任。1958年には東京藝術大学美術部に版画教室を設けました。石版画(リトグラフ)の指導には脇田和(※)を、銅版画の指導には駒井哲郎(※)を招いています。この版画教室は後に文部省から正式に認可を受け、版画教育の礎を築くのに貢献しました。1971年に定年で職を辞したのちも同校の名誉教授の号を授かります。
若手画家の育成に尽力する一方で、自身の制作活動も精力的に行います。1974年には赤坂迎賓館の大広間の壁画を作成しました。これらの功績が認められ、1979年には文化功労者に選任、日本芸術院会員にもなります。1983年、80歳のときには文化勲章を授与しています。
大正~昭和期にかけて活躍した洋画家。ドイツにてリトグラフやエッチングなどの版画技法を学ぶ。後年は東京藝術大学にて後進の育成に力を入れた。(※)駒井哲郎
大正~昭和期にかけて活躍した銅版画家。生涯にわたり一貫してエッチングを制作し、銅版画の普及と地位向上に貢献した。
小磯良平の作品・代表作の特長。西洋画の技法を日本に根付かせた
▲神戸市立小磯良平美術館では、多数の作品を観賞できる
小磯良平の作品の特長は、卓越した油絵技術と、的確な線描による緻密な画面構成と、清楚な色調を用いた静かで穏やかな画風です。優れたデッサン力を十分に生かしながら、西洋絵画の技法を日本の洋画に根付かせるための研究を根気強く続け、独自の画境を開きました。
その功績は現代日本洋画の歴史においても非常に重要であり、その礎を作ったといっても過言ではありません。代表作には「踊り子」や「裸婦」「舞妓」「働く人々」「斉唱」など。主に婦人像や群像をモチーフにしていました。
小磯良平の作品の評価とは?特に婦人像の評価が高い
▲神戸市にある神戸市立小磯記念美術館
小磯良平は、1988年に亡くなるまで多数の作品を残しています。1989年には2000点にのぼる作品が神戸市に寄与され、1992年に神戸市立小磯記念美術館が開館しました。
そんな小磯良平の作品の中でも特に評価が高いのは、婦人像です。描かれた時代や描き込み具合によって評価は変わりますが、買取価格が高価格帯になることも少なくありません。特に、油彩で描かれた作品は高価格買取になる傾向があります。
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小磯良平の作品・代表作を紹介
小磯良平 リトグラフ「フランス人形」
1970年、小磯が晩年の頃、本格的にアンティークのフランス人形を描くようになりました。小磯がフランス人形を描き始めるきっかけとなったのは、知人の画廊からコレクションしているフランス人形を描いてみないかと勧められたことからだそう。モデルとなったフランス人形たちも、現在は兵庫・神戸市立小磯記念美術館に寄贈されており、作品とモデルを同時に拝見することができます。
小磯良平 リトグラフ 「若い女の座像」
小磯作品の中でも人物、とりわけ婦人像を生涯にわたり多く描き続け、また人気の高いモチーフでもあります。鉛筆のラフなタッチで描写されているものの、その確かな描写力と西洋文化を取り入れたモダンなタッチが、小磯作品の独特な雰囲気を醸し出しています。
小磯良平 エッチング 「白川女(D)」
白川女(しらかわめ)とは京都・北白川に住み、四季の草花を籠に入れ、その籠を頭上に載せて市内を売り歩いた女性のことで、頭には白い手ぬぐい、紺地の作務衣に白い腰巻と脚絆をつけた服装が特徴です。農業や漁業で働く人々の姿を描き、その当時に生きる「働く女性像」を切り取り、リアルに描き続けました。
「斉唱」などの代表作も。人々を魅了する小磯良平の作品
近代洋画界の重鎮として大きな影響を残した西洋画家・小磯良平。今回ご紹介した作品の他にも「斉唱」などの代表作も人気です。卓越した油絵技術を駆使したオリジナリティの高い作品は、現在でも多くのファンから愛されています。
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