陶芸家・北大路魯山人の作品・評価とは?器への強いこだわりと美食家としての人生
北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は20世紀を代表する日本の芸術家です。書や篆刻(てんこく)(※)、絵画、陶芸といった様々な分野で活躍しました。中でも器と食には並々ならぬこだわりがあり、会員制の料亭を経営したことがきっかけで本格的に陶芸家としての道を歩みました。「食器は料理の着物」という言葉を残したことでも有名です。
「おいしい食べ物にはそれにふさわしい美しさのある食器が必要」と考え、制作した陶器はなんと20~30万点と言われています。食を彩る陶器たちは、今なお料理店で使われる人気の作品です。
自分の価値観に合わない人は有名人であっても容赦なく批判する、厳しい人柄で知られた北大路魯山人。この記事では、そんな彼の人生と、作品の魅力についてご紹介します。
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多彩な才能を発揮した北大路魯山人のプロフィール
▲京都に残る北大路魯山人の生誕跡地
北大路魯山人の生い立ち。書の才能に目覚めた少年時代
北大路魯山人は、1883年(明治16年)3月23日、京都に生まれました。本名は北大路房次郎(きたおおじふさじろう)といいます。
6歳で京都にて木版師を営む福田家に落ち着くまでは、養家を点々とする厳しい少年時代を送りました。食事にありつくために食事係を買って出るなど辛い時期を過ごします。食の大切さとこだわりはこの環境で培われたのでしょう。
20歳の頃、実母がいる東京へ移住。10代半ばから書の懸賞で小遣い稼ぎをはじめ、書家を目指します。21歳、日本美術協会展の書の部に隷書(れいしょ)の千文字を書いて出品すると、褒状(※)一等二席を受賞するという異例の快挙を成し遂げます。
行為・業績などをほめることを記した文書。賞状。
会員制料亭を経営し話題に。本格的に器の制作を始める
魯山人が37歳の頃、友人の中村竹四郎と共同で「大雅堂美術店」という古美術骨董店を開きます。店で扱っている古美術の器に高級食材を使った手料理をふるまいはじめると、たちまち財政界で話題になりました。これが会員制食堂「美食倶楽部」のはじまり。美食倶楽部の会員は200人にもなりました。
関東大震災で魯山人は大雅堂美術店を失ってしまいますが、その2年後に会員制の高級料亭「星岡茶寮」を立ち上げます。多くの人々が訪れたため食器が足りなくなり、「おいしい食物にはそれにふさわしい美しさのある食器が必要」と考え、新しい器の作成に取り組むことにしました。魯山人は星岡窯(せいこうよう)を設立し、理想の器の創作に没頭しはじめます。
1930年には著名人をはじめとする料亭の会員は1000人を超えるほどの人気となりました。しかし魯山人の厳しいやり方と横暴さに不満を持っていた人々により、1936年に茶寮を追放されてしまいます。
晩年は陶芸に打ち込み、20~30万点の作品を作る
茶寮を追放されてしまった魯山人は、星岡窯にこもり、陶芸家としての生活を送ります。
戦後は経済的に苦しい日々を過ごしましたが、熱心に作品を作り続けました。人生で制作した作品は20~30万点といわれています。銀座に作品の直売所「火土火土美房」を開店すると、在日欧米人からも支持を受けました。アメリカ各地で展覧会や講演会が開かれるようになり、世界的にも有名な陶芸家となります。
文部省から重要無形文化財(人間国宝)認定の要請が二度ありましたが「芸術家は位階勲等とは無縁であるべき」という信念を貫き、固辞し続けました。
1959年、肝硬変により横浜にて76年の生涯を閉じました。
北大路魯山人の作品の特徴。使うことを前提とした美しさ
▲「春風萬里荘」。北大路魯山人が自らの居宅としていた古民家
北大路魯山人は多作な作家として知られています。制作した器は20~30万点とも。織部、備前、信楽、志野、瀬戸焼などの多くの作品を研究し、それぞれの良さを貪欲に取り入れました。
料理人としての一面もあったことから、料理を盛りつけて初めて美しい一つの作品となる、料理の引き立て役としての器という信念を貫いています。そのため現在でも多くの料亭で愛用され続けています。
北大路魯山人の評価。器・陶芸は特に人気があり評価が高い
▲陶芸のイメージ
多才な北大路魯山人は様々な芸術活動を行ないましたが、中でも陶芸作品は特に人気があります。現在も全国各地にコレクターがおり、魯山人が制作した食器のみで料理を提供する料理店も。
またグルメ漫画『美味しんぼ』に登場する非常に辛辣な美食家・海原雄山のモデルとしても有名です。2019年、千葉美術館にて「没後60年 北大路魯山人 古典復興 ー現代陶芸をひらくー」展が開催され、人気を博します。120点あまりの作品が展示されました。
2020年、足立美術館(島根県)にて魯山人の作品だけを展示した「魯山人館」がオープン。400点余りの作品が展示所蔵されているなど、現在でも多くの場所で作品に触れることができます。
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北大路魯山人の器・陶器の作品紹介
「染付楓葉平向五人」
染付楓葉平向五人は、楓の葉をかたどった5枚セットの皿です。全体が薄い青色をしており、表面には顔料である呉須で群青色の葉脈がのびやかに描かれています。迷いなく一直線に伸びた模様が美しく、生き生きとした軽やかさを感じさせます。余計なものは一切描かれていないため、料理がより引き立ちます。器の裏は三つ足になっていて、中央に「呂」のサインが入っています。
「織部釉長板鉢」
織部釉長板鉢は長さ50cmにも及ぶ大きな板状の器です。当時はなめらかに仕上げるのが一般的とされていた表面部分に、あえて波上の凹凸を作りました。さらに表面に草文の絵付、櫛目の技法などを自由な発想であしらい、凸凹を利用して繊細な濃淡を表現しています。台所にあるまな板から着想を得た作品です。
「雲錦鉢」
雲錦(うんきん)鉢とは、雲錦模様と呼ばれる満開の桜と紅葉が鮮やかに描かれた鉢のこと。器全体に桜と楓が表裏の区別なく見事に描かれています。尾形乾山や仁阿弥道八といった京焼の名品を参考にした描き方には迷いがなく、豪快さとスピード感あふれる華やかさを感じることができます。発色を重視して土にもこだわり、信楽土の品質が良くきめが細かいものを使用しています。
北大路魯山人の初期の代表作と言われている作品です。
まとめ
陶芸家として、料理人として生涯研究をし続け、多くの作品を残した北大路魯山人。厳しく辛辣な人物だったことでも有名な彼の、こだわり抜かれた美意識で造られた作品は、華やかに食卓を彩り、今でも人々の心を魅了し続けています。
そんな北大路魯山人の作品は、キズや汚れがあっても、査定額が高くなるものも数多くあります。買取を検討されている方は、ぜひ一度ご相談ください。