人間国宝「島岡達三」。作風や魅力、代表作をご紹介
1996年に重要無形文化財保持者として人間国宝に認定された、陶芸家・島岡達三。島岡達三は、「縄文象嵌(じょうもんぞうがん)」という器の土に縄目を入れて紋様を作り出す技法を編み出しました。この記事ではそんな島岡達三の生い立ちや作品の特徴・評価・代表的な作品などについてご紹介します。
人間国宝の組紐師、島岡達三の生い立ち
組紐師の息子として東京都に生まれる
島岡達三は、1919年10月27日に東京都に生まれました。父親は組紐師といって、数本の紐を組み合わせて紐をつくる仕事をしていました。のちに重要無形文化財保持者として人間国宝にも認定された島岡達三の「縄文象嵌」の技術は、生家での組紐仕事の経験によって生み出されたとも言われています。
高校時代に日本民藝館で見た作品に感動し、陶芸家を志す
島岡達三が陶芸に興味を持つようになったのは、1938(昭和13)年、東京府立高校時代に日本民藝館を訪れたのがきっかけでした。この際に見た作品に感動した島岡達三は、翌年1939(昭和14)年に東京工業大学窯業科に入学。その後、栃木県芳賀郡益子町に窯を構えていた浜田庄司に入門しました。その後、第二次世界大戦に徴兵されますが、1946(昭和21)年、戦争から復員して益子の浜田庄司に師事しています。ここで島岡達三は、伝統的な技法を用いて手作業で行う民芸陶器づくりを学びました。
民芸陶器の追求と、縄文象嵌の誕生
1950(昭和25)年から1953(昭和28)年までは、栃木県窯業指導所に勤務しました。この際、浜田庄司が依頼されていた学校教材用の古代土器標本の複製製作の手伝いを通し、縄文土器への理解を深めていきました。
さらに、幼少期に組紐師の父から学んだ、組紐が転がし方によってさまざまな縄文を作る技術を応用し、「縄文象嵌」という独自の技法を生み出しました。この「縄文象嵌」は、1960年頃には島岡陶芸の中心的技法になっていきます。
その後1954(昭和29)年には、益子町に住居と窯を設けました。また、同年には東京で初の個展を開催。この個展をきっかけに、彼の名前は世に知られるようになっていきました。1962(昭和37)年には、日本民藝館新作展で日本民藝館賞を受賞しています。
活動の場を海外にも活動を広げ、個展の開催や陶芸指導を行う
島岡達三は、国内で陶芸家として名を上げる一方、活動の場を海外にも広げていきました。1968(昭和43)年にはアメリカ・ロングビーチ州立大学、サン・ディエゴ州立大学の招聘で渡米。1972(昭和47)年、オーストラリア政府の招聘で渡豪。各地で個展を開いたり陶芸の指導を行ったり、精力的な活動を行いました。現在でも島岡達三の作品は国際的に高い評価を受けています。これも精力的な海外活動があったからこそなのでしょう。
民芸陶器の発展に尽力、名誉ある賞を数多く受賞
民芸陶器の発展に尽力した陶芸家として、国内のみならず海外での知名度が上がる中、これらの功績が認められ、島岡達三は名誉ある賞を数々受賞しました。1980(昭和55)年には、栃木県文化功労賞を、1994(平成6)年には、日本陶磁協会賞金賞を受賞しました。
さらに1996(平成8)年には、重要無形文化財「民芸陶器(縄文象嵌)」の保持者(人間国宝)に認定されました。その後も、1999(平成11)年に、勲四等旭日小綬章を受章するなど、輝かしい功績を残しています。
縄文象嵌の考案者、島岡達三の作品の特徴
縄文象嵌を考案した
島岡達三の作品を語る際に、まず知っておきたいのが縄文象嵌についてです。
縄文象嵌とは、組紐を使って作品に網目模様を施し、そこに異なる色の土をはめ込む技法です。
作品が半乾きの状態で組紐を転がして模様をつけ、凹んだ部分を含めて全体に異なる色の化粧土を塗ります。そして乾燥させた後、表面をうすく削りとっていきます。すると、縄で凹んだ部分のみ化粧土が残り、平らだった部分は素地の白土が見えてきます。こうして、白い陶器に異なる色の網目が出現するのです。
化粧土には青色や黒色の土が用いられました。これらの使い分けが独特な模様と風合いを生み出しています。
特に島岡達三のつくる大皿作品からは、この縄文象嵌の技法がよくわかります。
このような技法は、彼独自の装飾技法として高い評価を受けました。1996年には重要無形文化財「民芸陶器(縄文象嵌)」の保持者(人間国宝)に認定されています。
縄文象嵌のほか、さまざまな技法にも取り組む
このような縄文象嵌に加えて、島岡達三はさまざまな技法に取り組みました。例えば、白い窓絵を設けて中に赤絵で描画する技法などがあります。
また、師匠である濱田庄司が用いていた「塩釉(えんゆう)」という技法も取り入れています。それが、「塩釉象嵌縄文扁壺」と呼ばれる陶器です。この技法は、陶器を窯で焼いている最中に食塩を入れて化学変化によって陶器をコーティングするというもの。食塩が付着した部分は変色して青色になり、独特の風合いが出ます。「塩釉象嵌縄文扁壺」では、縄文象嵌によってつけられた溝に食塩が入り込むことで美しい青色の縄紋様が表現されています。
人間国宝に認定された陶芸家、島岡達三の評価
島岡達三の評価
島岡達三は、日本の民芸陶器の発展において非常に重要な役割を果たしました。重要無形文化財保持者として人間国宝に認定されたほか、1999年には勲四等旭日小綬章を受章しています。勲四等旭日小綬章とは、日本の栄典「旭日章」のうち、勲四等に位置づけられる勲章で、 国や公共に対してとりわけ顕著な功績のある者に贈られる栄誉ある賞です。
また、島岡達三は国内のみならず海外でも個展を開いたり、作陶の指導をしたりと、精力的に活動をしています。そのため、島岡達三の作品は日本国内だけでなく国際的にも高い評価を受けています。
そんな人気作家ゆえに、島岡達三の陶器はコレクター人気が非常に高く、付加価値がついています。骨董品店や買取専門店でも買取を強化していることが多く、高い需要があります。
査定のポイント
島岡達三の作品は非常に希少価値が高く、高額で取引されています。買取査定では、以下のポイントがチェックされます。
陶器の状態
島岡達三の陶芸作品に限ったことではありませんが、陶器にヒビや傷・割れ・汚れがあると買取価格は下がってしまいます。反対にヒビや傷・割れ・汚れなどがなく、状態が良いものであれば高額買取が期待できます。なお、キズや割れ・汚れは査定額に響きますが、売れないというわけではありません。一度相談してみましょう。
鑑定書や保証書の有無
島岡達三の作品は希少価値が高く取引価格も高額なため、贋作も多く出回っています。そこで鑑定書や保証書の存在が重要になります。これらがなくても刻印や作品の状態から真贋を鑑定することは可能ですが、鑑定書・保証書があればより信頼性が高くなります。
付属品にも一定の価値がある
陶器の査定においては、陶器を入れる木箱や作家の書物などの付属品にも一定の価値がつきます。これらがセットであれば、より高額での取引が期待できます。
島岡達三の買取相場
島岡達三の陶器の中には、非常に高値で取引されているものもあります。過去には、テレビの鑑定番組で島岡達三の大皿が500万円の値がつけられたことも。作品の希少性や状態にもよりますが、数万円~数十万円で取引されることが多いと言われています。
ただし、人気作家ゆえ贋作が多く、その価値を正確に測るのは専門的な知識が必要です。買取を希望する方は、専門の査定士がいる買取店に依頼することをおすすめします。
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島岡達三の作品紹介
島岡達三の代表的な作品を3つご紹介します。
地釉象嵌唐草文壷
縄文土器と李朝三島手(みしまで)の融合という創意工夫が加えられた縄文象嵌に地釉を掛けて焼き上げた作品。地釉とは、益子で並白(なみじろ)とも呼ばれる透明釉のことで、成分中のカオリンを増やすと半透明のマットな釉調となるのが特徴。
象嵌赤絵草花文小皿茶碗他
赤絵もまた、師・濱田庄司の技法を踏襲するものですが、彩色釉は不透明なため、島岡作品の特色である象嵌部分を覆ってしまいます。そこで器胎の随所に象嵌を施さない部分を設け、そこに草花文様等を赤絵で描きました。縄文象嵌によって包まれた彩色釉の窓絵は、渋い縄文象嵌の素地と対照的で美しく、島岡作品の中でも特に人気のある作品です。
赤絵方壺
益子焼を代表する釉薬の柿釉(かきゆう)に赤絵という技法も師である濱田庄司の作風を範としながらも作品には独特の温かさを感じる作品。柿釉は地元の山の岩を砕いたもので、粉末にしてから水で溶くと柿色に発色する釉薬のことを言います。深みのある色を出すには、釉薬の変化をコントロールする高い技術が必要となります。
この他、島岡達三の代表的な作品としては「大皿・益子焼」「脚付杯(蜻蛉 とんぼ)」などが有名です。
まとめ
民芸陶器の発展に貢献し、さまざまな作品を世に生み出した島岡達三。独特の技法で制作された陶器は、唯一無二の作品として現在でも高い評価を受けています。島岡達三のコレクションをお持ちの方は、ぜひ一度買取査定に出してみてはいかがでしょうか。
古美術八光堂