「寡黙な色彩」が特長。洋画家・小山敬三とは?作風・評価・代表作
大正から昭和にかけて活躍した洋画家、小山敬三。長野県小諸市に生まれた彼は、フランスで油彩を学んだのち、数々の名画をこの世に残しました。中でも浅間山や白鷺城をモチーフとした作品群は小山敬三の代表作として知られ、現在でも高い評価を得ています。この記事では、そんな小山敬三の生い立ちや作風の特長・評価・代表作などについてご紹介します。
小山敬三の生い立ち
▲小山敬三の故郷、長野県小諸市の風景
豪商の三男として生まれ、慶応義塾大学に進学
小山敬三は、1897年(明治30年)小山久左衛門の三男として、現在の長野県小諸市に生まれました。小山家は、江戸時代から味噌・醤油の醸造業を営む裕福な商家でした。小山敬三は中学校を卒業するころから画家を目指していましたが、父はこれに猛反対。やむなく慶應義塾大学理財学科に進学します。しかし、1916年(大正5年)、父の反対を押し切り、画家になるために慶應義塾大学を中退。川端画学校に入学し、洋画家の藤島武二に師事しました。1918年には第5回仁科展に「卓上草花図」が初入選。そして1920年(大正9年)、父の友人でもあった画家・島崎藤村のアドバイスによりフランスに留学しました。
画家を志してフランスへ留学、シャルル・ゲランに油絵を学ぶ
フランスに留学した小山敬三は、アカデミーコラロッシでシャルル・ゲランに油絵技法を学びました。当時の流行に流されるのではなく、伝統的な西洋絵画を徹底的に身につけたと言います。
1922年(大正11年)サロン・ドートンヌに「並木道の冬」が初入選。1923年に春陽会客員に、翌1924年に同会会員に、1926年にはサロン・ドートンヌ会員となっています。
1927年(昭和2年)には、パリのバレンヌ画廊で個展を開催。この個展は高い評価を受け、フランス政府によって買上げられた作品もありました。フランスでの8年の生活を経て、1928年(昭和3年)に日本に帰国しました。
帰国後、油彩画家として数々の作品を制作
帰国した小山敬三は、翌年1929年(昭和4年)茅ヶ崎にアトリエを建て、ここを制作の拠点としました。1933年(昭和8年)には二科会に入会。さらにフランスのサロン・ドートンヌ審査員に委嘱されています。
その後、1936年(昭和11年)、石井柏亭・有島生馬・安井曽太郎らとともに「一水会」を結成。翌年再びフランスへと渡りますが、第二次大戦の激化のため帰国し、郷里の小諸に疎開。終戦を小諸で迎えたのち、軽井沢に別荘兼アトリエを設けます。このアトリエからは浅間山がよく見渡せ、後に代表作となる「浅間山連作」を生み出すきっかけとなったと言われています。
1956年(昭和31年)、 日本橋三越で画業30年展を開催。1959年(昭和34年)には白鷺城をモチーフとした連作「白鷺城」で日本芸術院賞を受賞、翌年1960年(昭和35年)には日本芸術院会員および日展理事に就任しました。さらに、1970年(昭和45年)には長年の功績が讃えられ、文化功労者に。また、1975年(昭和59年)には文化勲章を受章しました。
油彩画の技術発展・普及にも尽力
1975年(昭和50年)には郷里の小諸市に小山敬三美術館を設立し、代表作31点を寄贈。村野藤吾によって設計されたこの美術館は、建物と絵画・眺望の集合美をかなえています。
また、小山敬三は、油彩画の技法や修復技術の研究にも尽力しました。晩年には、私財を投じて小山敬三美術振興財団を設立し、洋画の発展に寄与しています。
「寡黙な色彩」と評される、小山敬三の作品の特長とは?
▲小山敬三の代表作にもなった「浅間山」の風景
小山敬三は、フランス留学中に油絵画家のシャルル・ゲランに師事し、伝統的な西洋絵画を学んでいます。帰国後も、油彩の発展に寄与し、自らも多数の作品を制作しました。
そんな小山敬三の作品には、城やダムといった巨大な建物が多く描かれています。中でも「浅間山」や「白鷺城」は、小山敬三の二大モチーフとして知られています。小山敬三の画風として特長的なのは、独特な構図とダイナミックな輪郭線、そして油彩の良さを最大限に引き出した独自の色彩表現です。「寡黙な色彩」と評されるように、画面からは圧倒的な密度と重さが感じ取れます。
一目見れば小山敬三の作品とわかるほど、その色使いと構図はインパクトがあります。しかしながら決して抽象画にはならず、あくまで具象画の範疇の中で表現をしていることも、小山敬三作品の特長と言えるでしょう。
油彩画の発展に寄与。小山敬三の評価とは
▲小山敬三の代表作となった「白鷺城」
小山敬三は23歳から8年間フランスに留学し、シャルル・ゲランに師事して油彩を学んでいます。その際にサロン・ドートンヌに出展した「並木道の冬」は、初入賞を果たしています。また、フランスで開催した個展は話題を呼び、作品がフランス政府によって買い上げられました。このことから、小山敬三の作品は国外でも大きな評価を得ていると言えます。
また、晩年には油彩画の技法や修復技術の研究のため、私財を投じて小山敬三美術財団を設立しています。小山敬三記念賞による油彩画家の表彰や、油彩修復技術者の海外派遣など、日本の洋画発展に尽力しました。
現在でも小山敬三の絵画は高い評価を受けています。郷里の小諸市に設立された、小山敬三美術館は現在も多くのファンを魅了しています。
また、人気のテレビ番組『なんでも鑑定団』に出品された際には、作品それぞれ約数百万円の価格がついたことも。
このほか、2017年には生誕120年を記念した企画展が、郷里の小諸にある小諸高原美術館・白鳥映雪館にて開催されました。
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小山敬三の代表作
小山敬三の代表的な7つの作品をご紹介します。
浅間山連作
小山敬三は浅間山を好んで描きました。軽井沢に建てた別荘兼アトリエから浅間山がよく見え、その風景に感銘を受けた体と言われています。浅間山を題材とした作品は複数ありますが、なかでも「紅浅間」や「浅間山黎明」は代表作として知られています。
風の日の浅間山
白鷺城連作
浅間山連作と並んで小山敬三の代表作として知られるのが、白鷺城をモチーフとして描かれた作品群です。中でも1974年に描かれた「初夏の白鷺城」は、瓦屋根のうねるような曲線美が作品全体のダイナミックさと重厚感を強調しており、非常に小山敬三らしい作品だと言えます。
娘の肖像画「ブルーズ・ド・ブルガリィ」
巨大な建物をモチーフとした作品で知られる小山敬三ですが、戦後しばらくは多数の肖像画も残しています。その中でも代表作として知られるのが、「ブルーズ・ド・ブルガリィ」です。この作品のモデルは、小山氏の養女である中嶋蓉子さん。やわらかなタッチと明るい色彩から、母マリー・ルイズさんのブルガリのブラウスを着た愛娘への愛情が感じ取れます。
薔薇
花
長春花
まとめ
大正から昭和にかけて、日本の西洋画・油彩画を牽引した小山敬三。「寡黙の色彩」と評される作品たちは、現在でも高い評価を得ています。小山敬三の作品の売却を考えている方は、ぜひ一度専門家による査定を受けてみることをおすすめします。
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