秋野不矩の作品の特長・評価。明治〜昭和に活躍した女流日本画家
明治から昭和にかけて活躍した女流日本画家、秋野不矩(あきのふく)。西洋絵画の意匠を取り入れたその作品は、彼女の人柄を表すかのようにおおらかで自由、そして温かいまなざしに溢れています。今回は、そんな秋野不矩の生い立ち・プロフィールの他、秋野不矩の作品の特長・評価について解説します。また、代表作についてご紹介します。
秋野不矩のプロフィール
▲秋野不矩美術館
まずは秋野不矩のプロフィールについてご紹介します。
誕生から美術との出会い
秋野不矩は、1908年(明治41年)に、静岡県磐田郡二俣町に生まれました。その後、尋常高等小学校在籍時に、図面教師・鈴木俊平に師事し、絵画への関心を大きく示すようになりました。17歳になると、静岡県女子師範学校2部(現在の静岡大学)に入学し、美術教師の三沢佐助の指導を受けるようになります。翌年、小学校教師に。また、父親の勧めもで、日本画家の石井林響に入門。ついで28歳のときには西山翠嶂の主催する「青甲社」に入塾しました。
帝展初入選・初の個展開催
秋野不矩が画家としてのあゆみを固めたのは、28歳のとき。昭和11年の文展鑑査展にて「砂上」が入選、を果たし、選奨を受賞したのでした。その後も、昭和13年の第2回新文展にて「紅裳」が特選を受賞。昭和26年には、「少年群像」が第1回上村松園賞を受賞するなど、数々の映えある賞を受けています。
創造美術の結成・インドへの赴任
戦後まもない昭和23年、秋野不矩は、上村松篁・広田多津・吉岡堅ニ・山本丘人・福田豊四郎らと
ともに「創造美術」を結成。西洋絵画の技法を取り入れた新しい人物画を描き、新境地を開いていきました。
その後昭和37年には、インドのシャンチニケータンにあるビスバ-バラティ大学(現:タゴール国際大学)に客員教授として招かれることとなりました。この1年ほどのインド滞在は、秋野不矩の作品に大きな影響を与えます。帰国後も生涯を通じて計14回インドを訪れ、インドの風景や文化・人々の暮らしなどをモチーフとした製作を行なっています。このほか、アフガニスタンやネパール・カンボジア・アフリカにも旅し、そこで出会った多数の風景や人々を絵画に残しています。
文化勲章をはじめ、多数の賞を受賞
昭和56年、秋野不矩はこれまでの数々の功績がたたえられ、京都市文化功労者に表彰されました。さらに56年には京都府美術工芸功労者に。さらに、平成11年には京都府文化賞特別功労者賞を受賞。あわせて文化勲章も授与されています。
秋野不矩の作品の特長
▲秋野不矩の製作活動に多大な影響を与えたインドの風景
秋野不矩は、平成13年に93歳で亡くなるまで、数多くの作品を残しています。「不矩」という名前をまさに体現するように、自由でおおらかな創作活動を続けました。
西洋絵画の技巧を取り入れた新たな日本画を目指した
秋野不矩は、昭和23年「創造美術」の結成に参加。日本画に西洋画の技法や意匠を取り入れ、戦後の日本画の発展に大きな役割を果たしました。伝統的な日本画の岩絵具を用いつつも、西洋絵画のモダンで斬新な構成を取り入れた作風は、多くの人を魅了しています。
インドの地での生活が作品に大きな影響を与えた
秋野不矩は、インドのビスバ-バラティ大学(現:タゴール国際大学)に客員講師として招かれた際、約一年間のインド滞在をしています。このときに出会ったインドの風景や自然は、彼女の作品に大きな影響を与えました。代表作として知られる「インド女性」や「ガンガー」「渡河」などは、インドの生活を通して描かれた作品です。灼熱の国インドの強烈な日差しや熱気、そして力強く生きる人々の生命力が生き生きと描かれています。
秋野不矩の評価
▲静岡県浜松市に建てられた秋野不矩美術館
平成11年に文化勲章を受賞
秋野不矩は、画家人生の中でさまざまな名誉ある賞を受賞しています。平成11年には文化勲章を受賞。絵画作品のみならず、彼女の生き様や美術界への功績そのものが高い評価を受けています。
浜松市に秋野不矩美術館が開館
秋野不矩の郷里である静岡県浜松市には、秋野不矩美術館があります。1998年に開館したこの美術館では、彼女の作品を多数鑑賞することができます。なお、こちらの美術館は、建築家の藤森照信氏によって設計されています。杉板や鉄平石などの自然素材をふんだんに用い、自然素材ならではの温かみが感じられます。また、館内では靴を脱ぐというのも特徴的です。ござが敷かれた展示室内で、入館者はのんびり座りながら作品を鑑賞することができるのです。
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【参考】
秋野不矩美術館公式サイト:https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/akinofuku/
秋野不矩の作品紹介
最後に秋野不矩の代表作をご紹介します。
「インド女性」
「インド女性」は秋野不矩がはじめてインドを訪れ、出会った風景や人物を描いた作品群のひとつです。モデルとなっているのは、日曜日の朝に秋野のもとを訪れた女子学生のダイアナンダさん。全身を覆うような真紅のストールを身体に巻いたダイアナンダさんの美しい姿に衝撃を受け、スケッチで描いた作品といわれています。鋭い眼光と妖艶な雰囲気、真紅のストールが印象的な作品です。
「ガンガー」
「ガンガー」もはじめてインドを訪れたときの作品です。水量がもっとも多く、海のような壮大な景色が楽しめる雨季のガンガーを描いたもの。ビハ―ル州の州都「パトナー」のガート(川岸の階段状の施設)で見たガンジス川の壮大なスケールが表現されています。夕焼けがガンジス川を黄金色に染め、空には黒雲、手前には川を泳ぐイルカの群れが描かれています。
「廻廊」
「廻廊」は秋野不矩がカンボジアのアンコールワット遺跡をモチーフに描いた作品です。アンコールワット遺跡の寺院にある廻廊の壁に描かれた女神、女神の背後にある格子状の窓、女神の全面にある大きな柱によって構成されています。おおらかで穏やかな表情を浮かべた女神を主役にするのではなく、空間全体をメインに据えた画面構成が特徴です。
「俑」
「瓶花」
まとめ
西洋絵画の技巧を日本画に取り入れ、独自の日本画を生涯にわたって描き続けた「秋野不矩」。93歳でこの世を去るまで、多数の風景画や人物画を残しています。約1年間にわたって生活したインドでの日々は、秋野に多くの衝撃を与え、その衝撃は「インド女性」「ガンガー」などのインドをモチーフに描かれた作品群で表現されています。また、インドだけでなくカンボジア、ネパール、アフガニスタン、アフリカなどを訪れ、新しい場所で創作のアイデアを得ては、亡くなるまで絵筆を取り続けました。温かいながらも生命力あふれる秋野の作品群は、いまなお多くの人を魅了し続けています。
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